4. 男女共同参画推進については賛否両論があるかと存じます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお寄せ下さい
これは、男女共同参画推進に関するアンケート結果報告の一部です。
2006/3/23 掲載 : 男女共同参画ワーキンググループ
- 内外の事情で返事が遅れて申し訳ございません。自由・平等・人権の確立は、哲学教育の基本です。政治的状況に左右されることなく、国際社会の基本ルールであり、人間の共生の核心として、推進していくべきと考えます。アンケートの回答項目に疑問を感じます。(哲学に女性が向かない)という暗黙の前提があるように思われます。最初の一歩と思いますが、そうした偏見自体の哲学的論拠を問いただす質問を期待しています。(女)
- 単なる制度的な問題としてではなく、異なった視点や問題設定のもつ創造的側面として「ジェンダー問題」を考えてほしい。特に、アジア各国の女性哲学者や哲学研究者たちとの連携が必要と思われます。(女)
- わたしは、A大学、B大学、C大学など、制度上共学であっても、長く、男性社会であった大学で長く教えた後、定年後、D女子大学など女子大学に専任教員として教えた後、次のようなことを経験した。1)共学では、つい男性に合わせ話しをする。女子学生も男子学生の優れたほうに目を向けている。女子大学では、女性は、男性の目を意識することなく、自由に自分達で先生を評価する。2)定年退職する時、次のような感想を、哲学者として持ちました。わたしたちは、男も女も、同じ一つの世界に生きている。しかも、それは楕円のようなもので、中心が二つあると考えるべきである。だが、同じものを見ていても、男性と女性とではパースペクティブが違っている。それを男女とも、十分に自覚することが、人間の共同性(Humanity,koinosis)を作り上げてゆくために重要である。日本の社会は、儒教倫理がタテマエであったときに男性原理が支配的であった。教父研究、西洋古典研究において、欧米はもちろんのこと日本でも優れた女性は多く、また位置をもっている方も多い。ただ、B大哲学会に属するものとして、B大哲学科はこの意味で「ナサケナイ」という他ない。(男)
- 日本哲学会に限らず、哲学界は、まだまだ男性的な社会だと思う。ただそれは男性の視点からは見えないことも多いので、とりあえず女性の声に耳を傾けることが必要。今回の調査が、そうした機会として活用されていくことを望みます。(男)
- 委員については必ずしも女性が必要かどうかはわからないが、編集委員には一定数の女性が必要と考えます。人によっては男性の文体、女性の文体というものがあるので、その違いを評価すべきだと思います。またテーマの選択においても男女差があるとしたならば、それらを評価するためにも一定数の女性委員が必要だと考えます。また哲学会が哲学教育について何らかの影響力があるのだとしたならば、ワークショップなどの場でこそ女性に発言してもらうべきだと思います。なぜ哲学分野に女性研究員が少ないのかの原因を、教員自体がそれこそ「哲学的」に深く考えるべきではないでしょうか。(女)
- 日本における哲学および哲学思想の振興のためには、男性、女性の性による哲学研究への意識のずれと社会的制度的な今日の哲学観を打破して、新しい「地球規模的発想」に立った哲学を開拓しなければ、日本は世界からもアジアからも見放されてしまう。既にその兆候は出ていると言わざるを得ない。女性に哲学の門戸を開いて、女性の声を哲学に反映させ、男性・女性が”切磋琢磨”して哲学を”改革開放”すれば、現在の日本の閉塞的状況は打破され、新しい文化の活路が開かれてくるに違いないと思います。(男)
- こうした問題には先ず哲学が要ると存じます。女は男の出来損ないと断じたのはアリストテレスですが、こうしたドラマティズムに?をつけた哲学はセクストゥス・エンピリクスということになると存じます。ここで申し上げたいこと詳しくは拙著『創造と共生』(南窓社)に書いておりますので、お手にとっていがだければ幸いに存じます。(女)
- 女性会員が日本哲学会の中で活躍されるようになること、その人数が増えること自体は当然のことであり、推進に反対する気はありません。ただし、それは同時にジェンダーバイアスを乗り越えることを、女性会員にのみ要求することにつながりかねないことは留意すべきことでしょう。さらに言えば、それが、現在の社会における学問および学会という制度を支えているジェンダーバイアスの強化や再生産につながる危険ももちろん考えるべきでしょう。このようなジェンダーバイアスは必ず生じるものなのか、それとも”哲学”を名のる者である上それを少なくとも相対化する視点をもつべきなのか、そのような点もお考えになっていただければと思います。(男)
- 日本哲学会はビッグネームなのだから、政府に指摘を受ける前に、この種の問題に敏感に対応すべきだった。哲学界は、大学教育の段階から教員の活動環境に至るまで、すべての面で女性への制度的配慮が遅れている。「男性が考えた運営や制度に女性があわせる」現状では、何も変わらない。大胆かつ積極的な共同参画のための改革を希望する。(男)
- 「男女共同参画」の問題からは少し外れてしまうと思いますが、「性的言動」に関してお願いしたいことがあります。研究会や学会で、例えば、不倫など、全くの事実無根の噂を流している方達がいるようです。その方達は、何らかの目的があって、そのようなことをしているのではないとしても、嘘の噂の対象とされた者や、その周りの者は、「研究上で、反対意見を述べたから、陰湿な嫌がらせを受ける」と思ってしまいます。この種の行為を見ることで、かえって確信をもって反論できる、という場合もあると思いますが、周りの人、特に大学院生は、やはり怖がると思います。「今の日本の哲学の研究現場では、卑怯を嫌悪するという心を、少し麻痺させないと研究が続けられない」と感じる人がいなくなるように、研究環境を整えていただきたく思います。(女)
- 女性自身が積極的に参加し、責任を果たしていく姿勢が出てきているのは好ましいことだと思います。しかし、まだまだ余裕がない為、男女双方に許容性に欠ける、という意味では過渡期?これはずっと残ることだと思いますが。基本姿勢としては、男女共同参画は、これからも進めていく必要があると思います。(女)
- 日本哲学会が、このような検討をし、女性の学会への積極参加を推進しようとしている姿勢は、貴重なものと思います。哲学的なテーマとして「哲学と女性」という検討があってよいように思います。(男)
- 男女共同参画推進のためには女性研究者が女性であるというだけの理由で、研究指導に於いて男性研究者と差をつけられるという状況を是正すべきである。現在では寧ろ差をつけることが当然視され、男性研究者は女性研究者と対等に扱われることを自分自身に対する差別と見なす傾向があるのではないか。まして女性研究者の方が僅かでも厚遇されたりしようものなら、男性研究者は他の男性研究者に働きかけて、その女性研究者に対する差別的対処を増幅することは確実である。この傾向は勿論大学院生である研究者について該当する。男性は初めから女性より優遇されて当然、教員の指導を男性の方がより懇切な親身な対応を受けて当然、という雰囲気は研究室の至る所に於いて隈なく満ち満ちている。この傾向は特に哲学関係の研究室に於いて顕著であると思う。学生の頃から、主役は男性であり、女性は単なる添え物、又は数合わせ、ちょっとした休息のための時間を埋め合わせてくれるものとしか考えない男子学生は見飽きる程、見ている。そもそも女性は彼らにとっては単なる性的な役目しか人生に於いて果たされない筈なのに、そんな「物」が何故、自分が一生の仕事と定めた崇高な領域にまで入り込んでくるのかと内心は憎悪に満ち満ちている学生も多いと思う。「女性は勉学の邪魔になるから、必要以上におつきあいしてはいけない」という大人の教えを忠実に守ってきた模範的な良い子である男子学生にその傾向はより一層強い。彼らは女性には決して近付かない。それが「良い子」の証しであったからだ。また研究者間では、男性同士は相互に助け合い、経済的な面でも有利であるが、女性研究者に対しては、研究を続行するものだとは決して考えず、いつ止めるか、或いはどのようにして研究者の途を放棄させるかという態度でしか接しない者が多い。男性研究者は生涯を研究者として生きていくのが当然視され、そのために種々の支援を受けるが、女性研究者が生涯研究を続行するつもりであるらしいと判断されると、極めて陰湿な妨害と嫌がらせが始まる。それは種々の手段を使って行われる。更に情報も女性研究者には絶対伝えるなという、暗黙の裡の指令が徹底しており、男子大学院生間では全員が親密に研究情報を教官等から受容し、保護されているが、女子大学院生に対してはあらゆる面に報道管制が敷かれる。最初から疎外し、決して対等な対応をしようとしないのである。日本の社会は男性に寛容であり、男性を甘やかしている。それと全く同じ構図が哲学研究者間に見られたとしても何の不思議もないのである。男性教員は男子大学院生に対してはたとえ厳しくはあっても親身である。しかし女子大学院生に対してはたとえ表面的に丁重ではあっても、決して親身にはならないものなのである。セクシャルハラスメントの容疑を恐れるというのも口実であろう。男性が「我々は女性が大好きだ」というのは学問の世界に於いては殆ど嘘であろう。哲学研究を志す男性は一般の男性に比して女性蔑視の傾向が強く、女性嫌いだというのは隠しようもないことであろう。人権を男性にしか認めていないのではないかと思われる状況が多すぎる。アンケートへの意見の記載が逆用されたり悪用されることのないことを望む。報復の予感による言論の封殺が生じているかもしれない。女性忌避が美徳とされる世界ではセクシャルハラスメントはその勇気を賞賛されることはあっても、非難されることはない。寧ろセクシャルハラスメントは女性の性格の検証装置として機能している。男性から見て気に入らない反応を示す女性は全て排除対象とされる。(女)
- 現在学生であり、さらに所属が女子大の院であるため、自分自身が不本意な思いをしたことはまだありませんが、人によっては女性であることをある意味で利用され、研究指導の面において精神的苦痛を受け、やめていった方もあります。人間個人の問題と言われればそれまでかもしれません。しかし大学・研究室において暗にこのような事態が起きていることも事実です。そのためにも学会から変革の流れを(人数の面だけではなしに)起こしていただき、自然な性差は踏まえつつも偏見を払拭できる環境が、所属機関および研究者個人にも広がっていくことが重要であると思います。(女)
- 学問の世界においては、各個人の選択の自由があるので、無理やりに結果の辻褄を合わせるような男女共同参画には、なじまないのではないだろうか?職業的機会が男女平等に開かれていることが重要であろう。(男)
- 賛成です。それが進展するためには、国家社会全体で、子育ての中の女性にも仕事ができる環境が整備される必要があります。基本的には政治の課題です。(男)
- 特になし(男)
- 哲学という学問、およびその学会運営に、雰囲気として女性が関わりにくいという事情はあると思うが、「意識を改革する」とか「理解を深める」とかいった抽象論で対処するのでは何も変わらない。女性枠などの制度的措置によって、女性たちをムリにでも学会運営に関わらせれば、哲学業界で女性研究者が積極的に前に出て活動するのも当然という意識が一般に共有されてくると思う。しがたって、もし現状を変えようと思うのなら、あくまでも半強制的な制度上の改革が必要であると思われる。(男)
- 現状からすると、学会の執行部が積極的かつ人為的に男女共同参画の推進を促していくことは必要だと思います。確かに、私たちの日本哲学会は数の比の男女差が著しいので、もう少し標準に近づくべきだと思うからです。ただ、一定期間を経てそれなりの改善が達成されたなら、後は自然に任せた方が良いように思います。一旦筋道がつけば、時代状況からして、悪い状態には戻らないと考えられるからです。(男)
- 哲学という学問は、男女に関わりなく人間が中心テーマの一つであるにも関わらず、歴史的には近代にいたるまでほとんど男性哲学者によって作られてきたという事実があるので、内容的にジェンダー・バイアスが存在していることは、私自身も教室で講義しながら実感しています。しかし、学会における「男女共同参画推進」ということをどのように実現するのか、何らかのaffirmativeactionが必要なのかどうか、は、いま一つ、分かりません。それは、女性会員ご自身が学会について、ジェンダー・バイアスが存在していると認識しておられるのかどうかが、伝わってこないからです。もし、存在していると認識されているとすれば、その原因を除去することは必要だと思います。しかし、論文掲載等、業績に関わる点で女性枠を作るということは、学問業績のあり方の根幹を揺るがすことになりかねないのではないでしょうか。女性の意見がこれまで伝わりにくかったと言うこと自体が、すでにジェンダー・バイアスの結果なのでしょうか、それともたまたま女性会員がおとなしくあられた結果なのでしょうか、それとも特に問題がなかったということなのでしょうか。単に数字だけを示されて意見を求められても、答えにくいというのが率直なところです。(男)
- 内閣府の方針に沿うという動機でこの問題を外面的に処理してほしくない。今年の日本哲学会大会のシンポジウムで阿部謹也氏が指摘したように、哲学会が「世間」と化してはいけないのである。内輪褒めと外部者の排除に終始するのではなく、一人一人の学会員が独立した研究者として学問的議論を対等に前向きに展開できる、学会としての最低限の環境、すなわち学会としての最低の国際基準を満たすことができるよう、学会活動・運営に付随する諸慣習を根本的に見直してほしい。男女共同参画への取組を「女性枠」の設置で取り繕うのは余りにも空しいが、日本哲学会の薄ら寒い現状が変わるためには、少なくともあと50年は要するだろう。(女)
- 何らかの数値を設定することは、逆差別につながるので賛成いたしませんが、推進の必要はあると思います。当面は”意識改革”に重点をしぼるのがよいと思います。安易に”大学院の女子学生を増やす”ことにつながりはしまいか、と危惧します。それこそ”セクハラ”と言われかねません。(男)
- 性差に拘泥せずに、正々堂々と研究を進めるべきである。(男)
- 哲学術研究における評価基準は、研究活動とその結果としての研究業績の質と量、以外にあり得ないと私は考えます。研究活動に参入しまたはこれを継続する場面で「ジェンダー・バイアス」に由来する障害があり男女間の公平な研究上の競争が妨げられている事実が存在するとすれば、それは無条件で是正されるべきです。本学会(界)の女性比率を「平均値」に近づける努力が求められているとすれば、それはもっぱら上記のように男女平等の競争条件を、つまり「結果の平等」ではなく「機会の平等」を、確保し促進することを通じてなされるべきです。こうした観点からして、限られた学術的ポストにいわゆる「女性枠」を設けることには賛成できません。そうした「枠」で採用されれば自他ともに不透明なものが残りましょう。近年の司法試験における「若年者枠」を他山の石とすべきです。なお、別紙「お願い」によれば、今回のアンケートの実施動機は基本法の施行と特に理系学会の動きのようです。しかし、「法律ができたから」とか「周りがやっているから」とかいった理由付けは、「哲学」の精神から最も遠いもののように私には思えます。「男女共同参画」とは何かをまず根本から問うべきではないでしょうか。(男)
- 女性は発言することさえ「控えよ」という空気がある。暗黙の重圧がある。大学・研究機関での就職等での差別も歴然としている。同じ条件なら、男を採用するというのが当たり前になっている。男女共同参画推進に期待している。男女差別など存在しないかのように思っている男が多すぎる。(女)
- 日本哲学会は人文系の学会の中でも特に女性会員の比率が低いので、まずは女性研究者が参加しやすい環境を整えることが必要であろう。そのためには、委員および編集委員に一定の「女性枠」(現在の女性会員比率からすれば10%程度が妥当)を設け、学会運営等に対する女性会員の発言権を確保することが適切と思われる。(男)
- 女性研究者が研究発表の場や出版という形で世に評価を問う際に、発表者ないし著者が男性研究者ならここまでするだろうかと思う批判を見聞きすることがあります。そうした場面は、その場に居合わせた駆け出しの女性研究者にとっても将来を不安にさせるだけの十分な材料となり、そうした雰囲気を持つ学会から足を遠ざけさせる原因になると思われます。・その一方で、女性研究者に過度にお気をお遣いになられる先生方もいらっしゃいます。(多くの先生方がそうではないでしょうか。)しかし、女性研究者にとっては、ごく自然に接していただいて、自分の研究を批判していただいてより先へと進めて行くほうが望ましいと思います。・また、若手の女性研究者と話すときに感じるのは、自己評価の低さです。それなりに自尊心を失わずに研究を続けられる人は、限られているように思います。・どこの大学でも、よい研究を重ねていながら非常勤すらままならず、大学に籍を置き続ける研究者は増えています。ですから、女性研究者に限らず、若手研究者全般の将来をどのようにお考えなのか、諸先生方にお聞きしたく存じます。・学会という組織が各人の知への情熱だけでつながるような場となるのは無理なのでしょうか。女性研究者について取りざたされるたびに、切実に思います。(女)
- 「男女共同参画基本法」にはアファーマティヴ・アクション的要素が含まれ、形式的な個人主義的平等論からは批判もあるが、女性会員が極端に少ない哲学界の現状を変え、女性研究者の活躍による哲学の活性化を図るためには、日本哲学会の委員に女性枠を設け、女性研究者の育成に努力するといった政策的な決断が必要と考えられます。(男)
- 哲学に関心を持ち、積極的に研究する女性は増えており、研究業績も優秀な方がたくさん出てきている。私は比較思想学会理事として、女性の役員増員をすすめてきた。役員に女性が多いと女性は一般会員としても心強いといわれるので、当会もこの際できるだけの取組をされることを希望する。(女)
- 今年、B学会で、ジェンダーバイヤスがいかに研究者の意識に影響を与えてきたかに関する非常におもしろい研究発表がありました。それは、私達の心の中にあるジェンダーバイヤスを間接的に自覚させる(気付かせる)もので、多くの会員が納得して拝聴しました。一定の意識改革になったと思われます。そういう研究発表が日本哲学会内でもあるとよいでしょう。もっとも研究者は少ないでしょうが。(男)
- 「男女共同参画」という言葉はよくない。「男女平等」とすべきであると思います。男女平等の推進に賛成です。(男)
- なぜ男女共同参画推進しなくてはならないのか分からない。いいかげんに欧米のサルマネはやめよ。そもそもこのアホな調査は何なのか。こんな調査に学会の金と学会員の手間をかける必要があるのか。説明責任を果たしてもらいたい。「ジェンダー」という概念は「フロギストン」と同様、対応する実在を持たない虚構の概念である。これは性差に関する社会構成主義・イデオロギーに由来する概念であり、それが誤りであることは脳科学や心理学によってはっきりさせられていると思う。フェミニスト諸氏はぜひ、コラピント『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎)を読むべし。(男)
- もう少し分析・データが必要。例えば大学院(博士課程)における比率と「研究者(専門・非常勤)」の比率を比較すれば、就職差別の実態が明らかになるかもしれない。進学に関しては、男女差別があるとは思われない。いずれにせよ哲学は、他の人文科学と比べて、女性の比率が少ないようだ。「学部」レベルからの分析・データ検討も必要か。(男)
- 男女共同参画そのものは結構なことですが、そのためといって、組織内の男女の人数割りその他、形式的な改変を進めようとすれば、参画それ自体が形骸化するのではありませんか。女性研究者の研究を阻害する実質的な差別があれば、一朝一夕にはできなくとも、それを除去するのが第一の課題だろうと思います。(女)
- 学会内に問題があれば改善するのは当然だと思うが、根本的なことは学会内部だけのことではないと思う。社会環境、女性は家庭にという意識(政治家の意識)などが、女性の社会進出を阻んでいると思う。45年以上前、修士在学中に結婚、出産しました。育児、仕事、学校などを両立させるのは極めて困難でからだをこわしました。現在でも事情は大きく変わっていないのではないでしょうか。私はその後、別の道(地域の仕事、絵画制作、詩など)を選びました。男女共同参画推進には、女性が外で働きやすく、男性が家事育児に参加しやすい、社会の仕組み全体の改革が必要だと思います。(女)
- D.C.をもつ大学院(とくに旧帝大系の研究科)でもっと女性の哲学研究者を養成しなければ、事態は改善されないのでは。中学・高校レベルでの哲学教育にもメスを入れるべきでは。(男)
- 「共同参画」といてもすでに男性中心で作られた場に女性が「いれてもらう」というのが現状だと思います。非常に瑣末なことかもしれませんが、数で男性が圧倒しているうちは、女性は「割り当てられた役割」を上手にこなしいていくでしょう。その方が「仕事がスムーズ」にいくからです。(男性・女性のどちらに偏っても数の多い方の性に関する「慣習」が幅を利かせるはずです。)少なくとも、「ジェンダー・フリー」を、「男女の差を完全になくすこと」として反対するような傾向が学問の世界にあるとすれば、共同参画などというのは絵に描いた餅に終わるでしょう。ジェンダー・フリーに真剣に取り組む姿勢がないなら、現在の男女の役割を上手に利用して「共同で」(数を合わせた上で)やっていけばいいのですから。(女)
- 女性の役員に枠を設けるなどのある程度の積極的差別是正措置を採用する必要がある。(男)
- 哲学自体が女性にとってもっと興味深いものとなる必要がある。そのために、女性がどんなテーマや論文内容に価値を見出すかを調査して、論文の審査に係わっている人たちの考えと佐がないかどうか検討する必要がある。(男)
- このアンケートに答えるか否か迷いました。というのは、どうせ改善されないだろうというあきらめがあるからです。日本の哲学系の学会では。私は今学会活動の場を海外に探しつつあります。日本ではもう希望がもてないからです。日本はイスラム国よりはるかに男性王国です。そのことを自覚しないのは日本の男性だけです。私が所属する海外(ヨーロッパ)の哲学系学会は参加者の半数が女性であり、執行部に助成枠が設けてあります。しかしアンケートに答えたのは0.1%の可能性を求めてです。日本は男性女性の問題はまことに後進国ですよ。それと、男女の問題とは別に、日哲は学会での発表は何故現実社会と密着したもっと広いテーマを採用しないのでしょうか。HIV差別とかテロリズムのような現状では「日本文献哲学会」と名付けたほうがいいですね。(女)
- 「男女共同参画推進」の男女という言い方がすでに問題なのに、そのまま使用されているのが納得できない。(男)
- 男性側の女性に対する古い意識の打破と女性が研究者として一生涯活動することに希望をもてるような環境づくりが急務であろう。取りまとめ大変でしょうがよろしくお願いいたします。(男)
- 実力で判断すべき。(男)
- 大会会場における託児所の設置などは他の学会では当然のことになっていると思います。各大学で生じているセクシャルハラスメント、アカデミックハラスメントに対する相談・アドバイスができるような倫理委員会の設置を検討するべきかと思います。(男)
- 女性会員のアンケートに対する回答の検討が必要ではないでしょうか。(男)
- どうして、今ごろ?(男)
- 制度上、タテマエとしてはあからさまな女性差別は見られにくいとしても、事実上女性の哲学研究者が育ちぬくい状況があると思われます。女性研究職志望者が、どうせ本気で職業としての研究者を目指すつもりはないのだろう、と思われてしまったり、もともと数少ないポストをまず「家族を養わなければならない」(と思われている)男性に優先的にまわされる、ということがあるようです。理念を重んじるはずの哲学の世界は、理系や社会科学系の学会よりもはるかに男女共同参画という理念の理解と実践に立ち遅れているようです。(女)
- 賛成いたします。女性の研究者が研究等で不利にならないように配慮すべきだと思います。(男)
- 男女共同参画推進に賛成します。特に先進諸国中において、高い地位における女性の占める比率において、日本の比率の異常な低さは、早急に克服すべきであると考えます。(男)
- 政府は何事につけ、かけ声ばかりであるのが、日本の現状である。肝要なのは、現場が積極的に対応することであると思う。学会ではよく論議し、それを現場(各研究期間や教育機関等)に発信して、遅ればせながらでも、共同参画社会を実現させるべきだと考える。是非、早期の対応を!!(女)
- 学会内が男性的な雰囲気につつまれており、女性はコミュニケーションをとりにくいのではないか、と感じられることが多い。まずはそうした雰囲気をなくすことから始めるとよいのではないか?また、発表やシンポジウムのテーマも女性の意見が全く考慮されていない点も気になる。(男)
- 特になし(男)
- 私自身は女性ですが、夫が同業者、勤務先で専門分野マイノリティが長かった(他は全部医療系)ものの、所属学科では同性同僚がマジョリティ(看護学)という、特殊な状況におりましたので、少し感じ方が違うかも知れません。しかし、純然たる(?)研究者としての発言に関して男女を問わないのと、広い意味での学会運営(会合のあり方やテーマなどの決定、その他)に参加する会員としての発言において男女を問わないのとは、少し違うように思います。後者に関しては、もっと女性の発言やセンスを検討する機会が増える方が、学会自体の発展にもよい結果を出すと思います。その点で、現在の決定機関に一定期間でも女性が増えることを願う者です。設問1.5では会員比から単純に10%としましたし、編集委員に関しては、本来は、女性枠に懐疑的ですが、運営については、20-25%いれてもいいと考えます。哲学「専門」ではない、他分野の女性研究者をもっともっと会員に呼び込めるような活動内容にしていくべきではないでしょうか。(女)
- 基本的には女性は哲学研究能力が男性に比して劣っているとは思わない。ただ、女性研究者に向いている哲学と向いていない哲学の区別はある。女性研究者に向いている哲学として挙げられるのは、例えばレヴィナスなどの他者論や、ミシェル・アンリの情感性の哲学。これらの分野では、優れた業績を上げている女性が現にいる。他方、女性研究者に向かないのは、カントやヘーゲルなどの文体の悪い哲学者。大切なのは、女性研究者は自分のセンスに合った哲学の分野を研究テーマに選ぶことだと思う。(男)
- 男女共同参画推進には賛成ですが、女性研究者の絶対数が少なく、それ故にごく一部の卓越した研究者以外、なかなか業績を挙げ難いこと、それは一つには女性研究者受け入れ数が限られていて、将来に希望がないため、優秀な女子学生が哲学研究を選択する意欲を削ぐという悪循環に陥っている。一定期間、学会の役員、編集委員、また研究機関の構成員について女性枠を設定して、長期的に、研究者を育成する制度的保証を与える必要があろう。(男)
- 時間をかけて、まず、日本の精神的風土から変えていかなければならないが、ある委員の枠に、女性枠を設けるなどして、環境の変化を促す取り組みも有効であると思う。(男)
- 女性枠を作った場合、女性会員の負担が増えることになるが、大丈夫だろうか。(男)
- 現在の日本の状況では、女性(およびセクシュアルマイノリティ)の意見や思想が反映されにくい制度上、慣習上の問題は現実的に存在すると思います。日本哲学会は、ぜひ先頭に立って、制度改革を行ってもらいたい。女性が女性であるがゆえに研究者として活動していくことをあきらめなくてはならないような風潮を早くなくさなくては、と思います。(男)
- 女性研究者、女性会員、女性委員がこれほど少ないのは主に、女性の研究者職の獲得・保持を困難にしてきた、システム化された社会のあり方のせいだと思います。具体的には、女性は研究者になるなら出産・育児が困難となるという状況や、社会における女性の役割についての固定観念等のことです。そして女性の参画がこれほど妨げられているのは矯正されるべき事態だと考えます。このシステム化された社会のあり方を変えるには、研究者採用人事の場でのアファーマティヴ・アクションの推進と、研究機関での、育児をしながらの研究をバック・アップする環境の整備が不可欠かと思われます。(男)
- 男女共同参画は大いに推進する方がいいと思います。(男)
- 日本哲学会は、日本における思想界の中心団体として、ジェンダースタディーズなどを推進し、積極的に社会にアピールすることで、性差(や出自など本人に選択の余地なく変更もできない諸事情)に基づく偏見や差別のない公正な社会の実現に向け努力するべきである。(男)
- 男女とかではなく、個人個人の能力や特性が生かされた参画があってしかるべきと思います。日本の哲学会で女性の割合が少ないのは、哲学学会に固有な問題ではなく、もっと広い家庭・職場・社会の問題だと思います。(男)
- 女性研究者の増加は、哲学への女性の関心を高める環境を創り出す必要があろう。そのためには幼児より「ものの本質を考える」教育の内容を充実させる必要がある。例えば、一案として、絵本や物語やテレビアニメ等の作品の中で、年齢各層に対応した哲学的テーマを盛り込んだものをもっと普及させるなど、学習教材のみならず娯楽作品としても展開する素材の開発が望まれる。(男)
- そもそも哲学専攻の学生に女性が非常に少ないことが問題の本質ではないでしょうか。これは社会全体の価値観の問題であるように思えますので、学会として可能な努力は限られているかもしれません。大学においてはしばしば女子学生のほうが学力・志が高く活動的であるという現実からすると、強いて言えば、現在の哲学研究における「社会との接点のうすさ」が彼女たちを遠ざけていると思えます。迂遠ですが、哲学が具体的な社会的要請に取り組む事例を積み重ねてアピールするのがよいのではないでしょうか。女性だけでなく、一般に優秀な人材を集めるためにも。(男)
- 今、自分の所属している大学では、具体的な差別は少ないと思うが、男性の意識の差はあるように思う。年をとった教員のなかに反対意見は多い。女性の中にも、甘えがあり女性だから雑用をしたくない、早く家に帰りたいという態度を示すものがおり、管理職や同僚から不信感をもたれるケースがある。私としては、意欲のある人、能力のある人は男性と同じように扱われるべきだと思う。それを妨げるべきではない。そして、女性が入ることによって組織はかなりかわると思われる。特別枠をもつことはあまり賛成できない。(男)
- 大学教員採用人事で、女性が不当に差別された事例を経験したことがある。哲学研究者の就職先は、大学しかない。女性が就職しにくいなら、大学院に進学する女性も減少し、いつまでたっても女性の哲学研究者は増えない。日本哲学会として、この現状を改善する方法を考える必要があると思う。(男)
- 「女性」ということを前面に出すこと自体、バイアスが強いように思われます。そもそも、大学教育において哲学・思想に興味ある学生は男女関係なく存在します。日本において、女性研究者が伸びない理由は、日本に於ける女性の地位、いわゆる「女性には教養は必要ない」というような高等教育不要論が、40歳台以上であるように思われます。指導者及び保護者の教育観が変わらない限り、当該の問題は解決しないように思われます。(男)
- 本学会における女性の比率が少ないことの理由としては、そもそも哲学を専攻しようとする女性の数が、他の学問領域と比べてもかなり少ないことが、大きいのではないかと思います。ですから、学会運営の上で女性に不利な、あるいは居心地の悪い思いをさせる慣例を改めていくことは当然必要だとしても、「女性枠」という一種のアファーマティブ・アクションを導入するのは、必ずしも実効性があるとはいえないのではないかという気がします。(男)
- 母集団自体に増減があるでしょうから、〜%という確定的数字を挙げるのは困難だし、不適切と思います。不勉強で恥ずかしいのですが、一般の会員の男女比に何らかの定数を掛け合わせて女性枠を決定することができればどうでしょうか?(男)
- このようなアンケートを実施するということにおどろきました。このアンケートをする前に、もっと理論的な探究をすべきでしょう。その場合、もっと適切なことは精神分析をとりあげることですが、ラカンに関する論文が一本も「哲学」にのらない現状ではムリでそうが....(男)
- 個々の男性研究者は、特に女性を差別しているとか、不当なジェンダー意識をもっているなどの自覚はないだろうと思います。しかし、会議のもち方・進め方、発言の仕方・内容・態度など、学生への発言や態度もそうですが、この社会に共有されている女性観やジェンダー意識をもっていると感じることが多々あります。本人が善意であり自覚していないだけに、指摘しても真摯にうけとってもらえず、「うるさい人だ、セクハラなんか納得いかない」などの感情的反感をもたれたりして、壁の厚さを痛感します。うまい言い方がみつかりませんが、哲学研究以外のところでは「フツーのオッサンだ」という自覚をもってほしいと思います。男女共同参画推進は同然行うべきことです。差別解消のためには、差別によって益を得ている立場の人々が、その益を捨てるという痛みを伴うことになりますが、男女平等がめざしているものは男が益をえていてズルイと非難することではなく、男女ともに不当なジェンダー意識から解放されることにあると考えます。(女)
- 学部生時の自由な専門選択において既に女性が少ないので、制度的な側面から女性が制約を受けているとは感じません。(男)
- フェミニズム思想を哲学の一部として組み込む。・社会哲学系の会員を増やす。(男)
- 学問の世界なのだから、性にかかわりなく秀れた成果には敬服する。「哲学」関係では女性が少ないだけに、妙にちやほやする傾向はあると思う。古いかもしれないが、実績が重ねられていけば、自然と地位も高まるのではなかろうか。現在、「制度」がその障害になっているとは思わない。少なくとも、「学会」の範囲では。社会全般では未だ未だ女性の負担は大きいだろうが。(男)
- 女性だから云々という議論そのものが無効と考えております。(男)
- 男女共同参画なる政策自体が、まったく非哲学的・没哲学的に形成されたものであり、単なるフェミニズム・スローガンの受け売りで出来上がったものであるのに、哲学の学会がそれに振り回されるといふことは、全く情けないことである。このやうな馬鹿馬鹿しいアンケート自体、深く恥ぢて中止すべきである。(いったい誰がこんなアンケート思ひついたのョ。バカねェ)(女)
- 日本哲学会の女性会員の少なさは、女性が哲学研究および教育を続けることの困難さを反映している。その要因は様々であるが、特に大きいのは、「哲学研究のような理屈っぽいことをやっている女性は扱いづらい」という偏見が世間に存在すると同時に、女性研究者自身にも深く根付いているという事実だと思われる。(「家庭との両立が困難」という要因もあるが、家庭を持つためには異性から結婚相手としてふさわしいと思われなければならず、よほど理解のある男性に恵まれないかぎり、やはり先の偏見が障壁となる。)学会内で女性の優遇処置をしても、学科以外の意識改革が進み、なおかつ「扱いづらい、と思われたくない」という女性の側の態度が変わらないかぎりは、女性会員を増やすのは困難であると思う。私の所属は女子大であるが、勉学意欲のある学生は進路選択の難しさから大学進学を断念し、僅かに進学できた学生も学内での紀要執筆にとどまり、学会活動をするだけの積極性を欠いているため、研究者として生き残る確率が大変低いのが現状である。女性が極端に少ないという事以外、女性を学会から遠ざけている要因は見あたらず、まずは女性の側からの積極的な参加を望みたい。(それができないから問題なんだ、と言われるかもしれませんが...)(女)
- 産む性である女性が輝く世界こそが平和で安全な理想社会ではないでしょうか。(男)
- 男女共同参画推進は大いに賛成の立場ですが、その推進は行政的な取り組みではなく、学会の運営や研究発表など様々な場面毎に女性を男性と公平に扱っていく中で自然に展開されていくことを望みます。女性枠の設置などは賛成できません。(男)
- 一面的な理解によるバックラッシュに負けないでほしい。(男)
- 哲学を専門とする研究者が日本で少ないのは、ジェンダー・バイアスのせいなのか、それとも、哲学という学問の特性によるものなのかを考察した研究論文が必要だと思う。・ジェンダー・バイアスも問題であるが、学歴バイアスによる就職の格差も問題にしてほしい。(男)
- 行政指導の及ばない大学教員の人事は、男女共同参画の理念からほど遠く離れている。非常勤講師の女性に対しては、「結婚して養ってもらえ」という意識から(面と向かって言われた経験もある)、専任教員への道が閉ざされることが多い。また、専任教員になれるようにするという条件をチラつかせ、性的な嫌がらせを受けることも多い。教育・研究の場であらわれているジェンダー・バイヤスに目をつむり、女性には万事(哲学研究に限らず)において能力がない、という理由で現状を肯定することは問題だろう。意見はたくさんあるが、ここに全てを書くことは難しい。(女)
- 女性会員数のわりに女性委員が少ないのは、女性会員の多くがまだ若年だからではないかと思われる。今後少しずつ女性会員が増えていくと思われるし、その中から、いずれ委員となる人も増えていくと思われる。女性枠のようなものは、かえって女性に「枠のおかげで委員になった」と思われるとか、「そう思われるのがいやだから、ひきうけない」とかという気もちを生み出しかねないので、やめる方がいい。(男)
- 政府の方針に対応する意図で、学会として検討することに対しては賛成ではありません。哲学という学問の特性から考えて「男女」を特別に考慮することは二次的であると考えています。大学等における教育の過程では、「男」「女」という区別なく扱う姿勢は必要だと思います。(女)
- 学会、研究会に出席した際、そのほとんどの席を男性研究者が占めているという現実に、何の違和感を抱かないデリカシーのなさ(男・女共に)を自ら自覚する必要があると思う。まずそこから始めなければならないと思う。(女)
- 男女共同参画推進などという「国策」にこびへつらうのはやめた方がよい。哲学研究者などというやくざな商売に淑女を引きずり込むような真似はすべきではない。そんなヒマがあったらプラトン『国家』の男女共同参画の笑い話でもかみしめるべきだろう。(男)
- 哲学という学問が男性的なものだという先入見がある。この先入見はなかなか脱しがたいものであるが、まずは制度的な面から女性学術者育成、各種委員の選出枠の確保など、努力すべきである。女性的なテーマというものも、従来忘れてきた(無視してきた)面があり、むしろ大会のテーマとするなど、考えてもよいのではないか。(男)
- 現在の哲学会のあり方は、親分子分の結びつきを基本とし、仲間とたむろしなければ何もできない、何も発言できない中世村社会のようなものであり、およそ哲学的なところがない。この点の反省がなければ共同参画が不可能であることは言うまでもなく、哲学も何も生まれない。(男)
- 小さな娘を持つ親として、「女性だから」という理由で、さまざまなことが制限される悪しき風潮は、わたしの世代のうちに積極的にできるだけ変えていってやりたいと思っています。また、わたしじしんが、じぶんの研究室の問題にかんして、(研究室にいる時間が一番長く、かつ当事者と親しく話ができる関係であったにもかかわらず)まったく気づかずに「放置してしまった」という、悔いもいまだに残っています。この二つの個人的な理由から、アンケートには、多少、無理にでも、いま、積極的に動いた方がいいのではないかという思いをこめて、回答を選択しました。(男)
- 女性の少ない学会なので、平等・共同というのは、何をもってそう呼ぶのかが難しいことなのかと思います。いずれにせよ、特別に優遇する必要はないと思いますが、女性会員の比率に応じた公平な処遇は必要でしょうから、女性の発表や委員の比率を会員比率と同じかそれより少し上くらいにはしたほうがいいでしょう(それで上にはさしあたり10パーセントにしましたが、女性会員が増えれば、このパーセンテージも変わってしかるべきだと思います)。またシンポジウムや共同討議のテーマとして、かならずしもフェミニズム的性格の強いものを取り上げることはないと思いますが、家族、夫婦や男女関係、子育てなどのあり方のように、男女両方に関係する問題を、他の学会や分野の研究者と協力して開催していくといったことも考えていいのではないでしょうか。(男)
- もうそろそろ哲学会くらいは、外国からの直輸入的発想をやめて、それぞれの歴史文化的実情を踏まえて、この問題についてのみずからの哲学に基づいてこの問題について対応するという模範を示したらどうでしょうか。(男)
- 哲学研究そのものには本来性差はない。ただ教育研究の場において性差による差別があり、女性研究者が活躍しにくい環境にあることは事実である。自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリーを考えるプロジェクトチーム」による反対意見〈少子化、家族崩壊につながる)も視野に入れてよい。いずれにせよ、人文系の学会を代表する学会として、これからの研究課題とすべきではないか。(男)